自宅車庫に高齢者が運転する車が暴走して突っ込むという超迷惑な"もらい事故"

近頃は高齢者がアクセルを踏み間違えて重大な事故を起こす事例がとても多くなっている。
つい先日も高齢者の運転する車が暴走して悲惨な事故があったばかり。
しかしこれらは他人事とは思えない理由があるのだ。

....実は私は昨年3月末に高齢者の暴走自動車による大変迷惑極まりない事故にあっていた。

事故の概要


向かいの家の高齢者が運転する車がバックで車庫入れ時にアクセルとブレーキを踏み間違えて
突然急発進し、こちらの家の車庫に突っ込んで私の車と車庫や家屋の一部を破壊されたのだ。
幸いその運転者もこちらの家人、通行人にケガ人も無かったのが不幸中の幸い。
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賠償問題

家屋の賠償に関しては妥当な修理ですんなりと話は進む。
しかし、問題は車の方。
車の被害状況だが前後部はそこそこ破損していたものの素人目には充分修理できるだろうと、
必要な修理をしてもらえればこちらとしては問題はないので楽観的に考えていた。

だがディーラーに修理を見積依頼し仰天した。
修理をする際の見積額は170万。ちなみにその車の新車購入価格は諸経費込みで約230万...。
そこで保険会社は「全損」との判断をしたのだったがこの「全損」が大問題。
修理する場合、私の車は9年落ちなので保険会社の主張するところの時価額が50万と少し。
これらを比較して保険会社にとって支払いが安く済む方法、
つまり修理の方が高額であるとの保険会社の判断での「全損」なのだ。
それを「経済的全損」というそうだ。

被害者側の余計な手間



保険会社の主張する時価額の根拠となるものは通称「レッドブック」といわれる
中古車流通価格をまとめた冊子を基にしている。
裁判の際もこれを参考にしているらしい。
自分で車を売りに行くわけじゃなくて、仕方なしに乗り換えを余儀なくされているんだから
この判例の基準は単なる価格判断でしかない。

保険の内容でよくみる「対物無制限」というのはおかしな表現で
対自動車には時価額が適用されて制限あり、というべきものだ。
修理は出来なくもない状態であったのだが、
保険会社、司法判断の歪な理屈に結局丸め込まれてしまった様相だ。

早い話が修理代を全額払って貰えれば即日に示談で済んだ話なのだが
車の賠償はその時の時価を支払えばそれでおしまい、ということらしい。
(家屋の損害は別)
その時価で買える中古車を、なんて誰が乗ったかわからない車を
乗ることに抵抗もあって到底納得できず、
結局は保険金に自費の追加で新車を買う羽目に。

古い車を当てられて「新車にしろ」というのは無茶とは思うが、
古くとも自分で状態などをすべて管理して、まだまだ問題なく乗れる車を壊されたのに
管理状態もよくわからない中古車に乗って納得できるわけがない。
中古車購入にあたってはさらに自分で探し回らなければならない手間。
出費と手間、時間を無駄に強いられて全く納得のいかない事態になった。


で、なんで被害者が「手痛い出費」をせねばならんのか。
さらに証拠写真、補償請求をまとめたり交渉したり、工事の打ち合わせ、
車関連の打ち合わせ、請求資料作成など・・・余計な時間を遣わされた。
これこそ・・・こちら、被害者が「経済的全損」というべきものである!!

さて、あれから。紆余曲折あったが無過失事故の被害者はほぼ泣き寝入りという結果。
せいぜい、「高く下取りしてもらって新車が買えたね」なんて
ポジティブシンキングでこの災禍を割り切るしかできない。

まぁ成り行きをしっかりと見守りたかったので補償交渉は全部自分でやりましたよ。
保険会社の担当者は訳のわからない理屈を含めてなるべく安い金額で丸め込もうとしたり、
事故だけではなくその後も加害者の無責任な態度などに悩まされたりしつつも、
交通事故案件の処理についてはとても良い勉強になった。

ところで通常の事故であれば保険会社同士で補償交渉をするのだが、
10:0のような無過失事故の場合は補償交渉に関してそれぞれの車に加入している保険会社
どうしで話し合いは出来ないそうだ。非弁行為(弁護士資格の無い者が報酬を得て弁護する行為)にあたる
とか何とかで動けないらしい。

無過失事故の場合は最初から弁護士に任せておくのが一番良いみたい。


高齢者の暴走事故がクローズアップされる今日、自分がこういった被害にあった、という事実も何らかの参考になればと思う。
なので、あえて記事にしてみた。

その後、事故車両を保険会社へ引き渡してスクラップの手続きなどを経て
加害者からは謝罪の言葉と菓子折りだけ。
自分で当てておきながら修理代が高い、
中古車を買って乗ればよいではないか、
なんて非常識極まりない言葉などでも苦しめられた。

被害者の余計な手間暇、精神的な苦痛はかなり大きいのに
加害者は菓子折りを適当に選んで持ってくるだけ。
被害者側は余計な苦労が多大に増えただけという、理不尽。


ブレーキとアクセルの踏み間違いをするような高齢者は
車に乗ってはいけません。

青天の霹靂とは正にこの事なり。